コアな演劇ファン層に火がつき、
映画化された知的エンターテーメント
「もしもあなたの家族や親しい友人が子供にアドルフ・ヒトラーのアドルフと名づけるとしたら?」パリで大成功を収めた社会派コメディー「ル・プレノン(なまえ)」はドイツでは「なまえ、または親しい友人宅への招待」というタイトルで2012年11月4日、ハンブルクのドイツシャウシュピールハウス(演劇の家)で初演を迎えた。舞台監督は当時39歳のクリスチャン・ブレイ。実はシニカルな現代コメディーをこの劇場で上映するのは稀である意味、チャレンジだったという。そもそも成熟した演劇ファンは、テレビで流れる低俗なドイツのコメディーに辟易していた。けれど、フランス人によるブラック・ユーモアとエスプリの効いた脚本、パリのアパルトマンを舞台に演技派俳優たちによる白熱の演技はこの劇場に通いつづけるファンの心をしっかりと掴んだ。プレスの評判も良く、たちまち大ヒット。今日に到るまで、国内の他の劇場でもレパートリーとして上演され続けている。
映画版の舞台はライン川沿いの街、旧西ドイツの首都ボン。一軒家に住む夫婦は小学校からの幼馴染で大学教授と国語教師に子供が2人。落ち着いたトーンの家具、壁には額縁に入った趣味のいいアート作品が掛っている。ディナーはインド料理に高級赤ワイン。書棚には装丁のしっかりとしたハードカバーの本が並んでいたり、子供に聞き慣れないギリシャ神話のなまえをつけて、ところどころで教養をアピールするといったステレオ・タイプが誇張されているのが、可笑しい。東西統一後30年経っても、豊かな西ドイツの中流家庭のあり方は、さほど変わっていないように見える。
分断されていた東ドイツでは不自由な生活を強いられてきた社会主義という独裁政治下にあった。70年代、旧東ドイツ側では自由への憧れのため、故意にMandyとかPeggyとかアメリカ人のなまえをつけていた傾向があったという。3月18日、メルケル首相の歴史に残る自粛スピーチは民主主義の前提である自由の規制だった。東出身ゆえにその尊さが再び強調され、印象的だった。
今はボンも含めて、ドイツ中に外国人もたくさん住んでいるから、お爺さんのなまえを引き継ぐとか、WolfgangやHeidiといった典型的なものばかりでもない。ロシア系とかラテン系とか、実際に男の子にAkira(大友克洋映画の影響。響きがかっこいいから)やブロンドの女の子にYuri(美しい百合の花にちなんで)といった日本語のなまえをつけた知り合いもいる。自由と多様性のあらわれなのだろう。
戦後75年が過ぎて、どんななまえが受け入れられても、身近な人たちが子供をアドルフと名づけると言い出したら「悪い冗談でしょ。」と誰もが反対するだろう。この映画はあの大戦を決して再び繰り返さない!という確信が国民にあるからこそ笑える傑作なのだ。