クエンティン・タランティーノ監督の『イングロリアス・バスターズ』などハリウッドでも活躍、大ヒット作の『オーケストラ!』で知られる女優メラニー・ロラン。監督としてもカンヌ国際映画祭で作品が上映されるなど評価が高く、ファッション誌の表紙も飾る女性たちの憧れの存在。そんな彼女が、活動家・ジャーナリストのシリル・ディオンと、フード、エネルギー、マネー、教育の今を巡る旅に出た。“新しい暮らしを始めている人々”との驚きの出会い。世界とつながりシェアしながら、新しいライフスタイルが見えてくる―。
2012年、21人の科学者たちが権威ある学術雑誌「ネイチャー」に、私たちが今のライフスタイルを続ければ、人類は滅亡するという論文を発表し世界に衝撃が走った。 女優で監督、子供を持つ母でもあるメラニー・ロランは、シリル・ディオンと共に、未来のために解決策を求めて世界へと旅に出る。
大半の住民が自動車産業に従事する単一工業都市だったデトロイトは、1960年以降、工場閉鎖に伴い従業員は失業、人口は200万から70万に減少した。新鮮な食品が手に入らなくなり、残った貧しい住民たちは、自給自足を始めた。この密集地帯には約1600のアーバンファームがあり、2400ヘクタールもの未開墾地がある。デトロイトの例はアメリカ国内と世界の数十の都市にも影響を与えた。
マンチェスター近郊にある人口1万4000のトッドモーデンは、世界的なインクレディブル・エディブル(みんなの菜園)の生まれた地。これは町の真ん中で花壇や公共の土地に作物を植え、共有するというもの。何百種類もの果物の木、豊富な種類の大量の野菜を植え、園芸農業の訓練センターを設立し、農民たちの移住を受け入れた。このやり方は数十カ国と数百の町にも広がった。
ル・ベック・エルアンには、フランスのパーマカルチャーで最も成功した農場がある。自然のままをモデルとし、人間が介在するのは、生産性の向上と資源のエコシステム構築のためだけ。何も加えず、石油も、除草剤も、機械も動力も使用しない。収穫は量も質も充実しており、更には腐植土をつくり、植物多様性を守り、CO2の削減にも寄与している。
(※1)パーマカルチャー…持続型農業。パーマネント(永続性)と農業(アグリカルチャー)、そして文化(カルチャー)を組み合わせた言葉。
2012年、カーボンニュートラルを実現させるため、風力発電機建設、地熱エネルギーの開発などを実施。大手企業は石炭からバイオマス・エネルギー(※3)へ方向転換。農家の藁や廃材を利用して、130万世帯の電力を生み出す。2025年までにカーボンニュートラル100%を目標、市民の50%が自転車で移動し、緑のある空間から300メートル以内で生活する都市型の生活計画を構築した。
(※1)カーボンニュートラル…ある生産や活動を行う場合に排出される二酸化炭素(カーボン)の量と吸収される二酸化炭素の量が同じ量である状態のこと。
(※3)バイオマス・エネルギー…エネルギー源や原料として使うことができる、再生可能な生物由来の動植物資源(化石燃料は除く)の総称。
1970年代の石油危機が脱化石燃料に舵を切らせた。レイキャビク市は水力発電、地熱エネルギーなど、再生可能エネルギーで利益を得ている。火力・原子力発電は一切ない。
(※4)再生可能エネルギー…化石燃料とは違い、太陽光、風力、地熱、水力といった自然の力で常に補充されるエネルギーのこと。
島内で使用されるエネルギーの35%が再生可能エネルギー。住居、食料、エネルギーの島への供給問題を解決するため、アクオ・エナジー社はアグリソーラーを開発。温室の屋根を使って太陽光を発電、電気を供給。ソーラーパネルの屋根と引き換えに、温室を無料で農民に提供している。
(※5)アグリ・エナジー…農地を活用した再生可能エネルギーのこと。
ゴミ・ゼロの象徴的都市。2020年までにすべてのゴミをリサイクル活用させる、「ゼロ・ウェイスト」プロジェクトを推進。活動は数年内に市の全域に達する予定で、いまやゴミの80%が再利用され、堆肥や再生品として活用されている。さらに、税金の優遇制度も設定されている。
封筒づくりを専門に行うポシェコ社は、「環境配慮型の生産体制のほうがより経済的である」という信念のもと、20年間会社を運営してきた。その結果、フルタイムの雇用を生み、労働時間も短縮、緑の拡大のリーダーとなった。工場は、環境保護を理想的に行っている。
(※6)エコロノミー…エコロジー(環境)とエコノミー(経済)の融合、環境を保護しながら節約して経済活動すること。
2006年、ロブ・ホプキンスがトットネスで始めたのがトランジション・ネットワーク(※7)。まず、町中の庭や畑を共有するということから始め、土地所有者に対して、土地をもっていない人たちに貸し出すよう奨励。この運動は町独自の地域通貨であるトットネス・ポンドの創設という経済分野にまで広がった。また、エネルギーや交通といった分野にも広がり、世界で1200人におよぶリーダーが育っている。
(※7)トランジション・ネットワーク…石油への依存と地球温暖化を防止するため、理想的な地域作りを目指す。
発展を遂げた地域通貨の成功例。ブリストル・ポンドは市内に800軒ある店やレストランで使える。コミュニティを支えるために地域通貨が役に立ち、地元企業の振興にも寄与している。食品も建材も地元で手に入れられるものは多く、輸送時間の短縮で二酸化炭素の排出も減らせる、地産地消のグリーン・エコノミーである。
世界有数の補完通貨の例。ヴィール(WIR)銀行は、1929年の世界恐慌と銀行の過度な警戒に直接影響を受けた15名の起業家によって、1934年に設立。使用範囲が限られた無利子のWIR通貨を作り、相互貸付システムを提供。経済危機で銀行システムが麻痺している間も企業が営業でき、かなり低いコストで投資ができるようにしている。
ローカルビジネスネットワーク(地元で生きる経済のためのビジネス連合)のバリーは3万5000の起業家が所属し、全米に渡って80のネットワークに分けられている団体。10年で、アメリカにおける地元起業家の最大のネットワークに成長し、地域と起業家たちが雇用を生み出し、資金の再割り当てを行い、地元の食料システムを発展させるツールも作れるようにした。
2008年の金融危機によって、政府は退陣に追い込まれ、市民は銀行を救済しなかった。2010年、政治家、銀行家、大企業を監視する組織が生まれ、無作為に選ばれた市民1000人が政策提言し、新憲法を作成する25名の市民を選出。市民による市民のための憲法を作った。ウェブを通して寄付金が集まり、検討会はつねにオープンなものだった。2011年に新憲法の草案を国会に提出、国民の67%が賛成したが、保守党が拒んだ。
革命的な民主主義の村。2006年、村長になったエランゴ・ランガスワミーは村の集会「グラムサバ」を開いた。すべての家庭の人たちが平等に代表として選出され、市議会と同様の方式で問題について議論する。村民たちが決めたことに基づいて、村長が実行計画を立てて村民たちに提示、集会において承認。承認が得られた後、村民たちが計画を実行に移すことを村長は要請する。
フィンランドが教育システムの改革に取り組んで40年。2000年になって、OECDによる15歳の子どもたちに対する国際的な学習達成度調査(PISA)で、フィンランドは世界でもっとも優秀な成績を収めた。ヘルシンキ郊外にあるキルコヤルビ小学校を支える哲学は、子どもたちに将来に備えて学び方を教えること。また、小学校には全国的なテストはなく、高校の卒業時に行われる共通テストが存在するだけである。
生物学者。スタンフォード大学の環境科学学科に所属。脊椎動物の進化に関する専門家。地球温暖化にともなう脊椎動物の生態系に対する影響の研究でも知られる。
古生物学者。カリフォルニア大学の生物学教授。エリザベスの夫。30年にわたって地球規模における気候変動について研究しており、それが種の進化におよぼす影響について研究している。
パーマカルチャーの講師。「トランジション・タウン」「トランジション・ネットワーク」の創設者。生まれ故郷のトットネスをトランジションの実験場とし、様々な活動を行っている。
食糧への権利に関する国連特別報告官。法律専門家、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学国際法の教授。2008年から6年間、「食糧への権利」活動における国連特別報告担当者を務めた。在任期間中、農業モデルは危機的な状況にあるとして警鐘を鳴らし続けてきた。アグロエコロジー(※)の奨励者。
(※)アグロエコロジー…伝統農業。有機農業であり、工業化された農業に対するオルタナティブと広く認知され始めている農業や社会のあり方、それを求める運動であり、科学のこと。
インドの科学者・哲学者・種子問題の専門家環境保護活動家。バイオテクノロジーを厳しく告発し、遺伝子組み換え作物がインドの農民に与える運命を糾弾してきた。20年前に「9つの種子」を創設、120以上もの共同体に対して種子バンクを提供。50万人におよぶ農家に有機農法を伝え、直系の種子の重要性と食料の安全性を保証してきた。1993年、環境の世界における第2のノーベル賞とも言われるライト・ライヴリフッド賞を受賞し、国際的な存在として一躍、認められるようになった。
アメリカの経済学者・エコノミートレンド基金総裁。エッセイストで、専門は経済と科学の予測。経済動向協会(FOET)の設立者であり会長。彼は著書において3つの問題――世界的な経済危機、エネルギーの保護、気候変動への長期に渡る解決策を提案している。リフキンが中心となって提唱している第三次産業革命は、2007年に欧州議会で公式に承認され、現在では欧州委員会内の様々な機関によって実行されている。
デンマークの建築家、都市プランナー。もっとも有名なプロジェクトは、コペンハーゲン中心部とNYのタイムズスクエアである。都市における公共空間のクオリティを高めるいくつものプロジェクトを実現し、人々の生活スタイルに合わせるような建築物を造ってきた。彼の活動は、公共空間の再活性化、旧市街の中心部における歩行者に向けた環境整備、公共交通機関の拡充整備、自転車利用の推進など様々に及ぶ。
エネルギーエンジニア・ネガワット代表。300名を超えるフランスのエネルギー専門家と実践者を束ねる団体で、全員がネガワットのコンセプト(節約とエネルギー効率)と再生可能エネルギーの積極的な使用に基づいた未来を目標としている。2050年までに世界中の国で化石燃料および原子力燃料からの転換を図るべくそのシナリオ作成に参与している。
アグロエコロジスト、アルジェリア出身でフランス国籍の農業家、作家、思想家。人間と自然を尊重する社会の形態の実現を提唱し、特に農業的に不毛な地において、環境に配慮し、資源と生態系を守る農法の開発を支援している。NGO「コリブリ(ハチドリ科の鳥の名)」の創設者。
経済学者。ベルギーのルーヴェン大学で国際経済学の教授職を経て、ベルギー国立銀行では上級職に就き、ユーロの創設に尽力した。その後、ファンド会社ガイアコープを共同設立し、1992年「ビジネス・ウィーク」誌による「ベスト・トレーダー」に選出された。補助通貨、とりわけ地域貨幣の最大の擁護者である。
ベルギーの歴史家・考古学者・作家。「疲弊した民主主義症候群」を覆すには、古代ギリシャでよく行われていた、くじ引き制度を復活させることだと主張する。社会に取り入れられている例として、陪審員制度をあげる。偶然性という要素を導入することによって、私たちの代議員制は民主主義の活力を取り戻すことができると言う。
化学者・インドのチェンナイ近郊にあるカザンバッカムの村長。カースト制度最下層(不可触民)出身で、インドにおける生ける伝説である。村長のための学校も設立し、10年間で900人以上の自治体の長が訓練を受けた。ガンディーが提唱した「共和国としての村」の理念に沿ったものである。これまでの活動によって数々の国際的な賞を受賞している。
1983年2月21日パリ生まれ。16歳の時にジェラール・ドパルデューに見出され「Uu pont entre deux rives」に出演。2006年にフィリップ・リオレ監督『マイ・ファミリー 遠い絆』で第32回セザール賞有望若手女優賞、第12回リュミエール賞の新人女優賞を受賞した。2009年にはクエンティン・タランティーノ監督『イングロリアス・バスターズ』に出演し、ハリウッドに進出。そのほか『オーケストラ!』(2009)『人生はビギナーズ』(2010)『グランド・イリュージョン』(2013)など、1999年から2016年までの間に38作もの映画や映像作品に出演している。映画監督としては、2008年に短編「De moins en moins」(2008)を撮り、第61回カンヌ国際映画祭短編コンペティション部門出品のほか、TVシリーズ「X Femmers」の第1エピソード「À ses pieds」を監督。2011年、初の長編となる「Les adoptés」を発表する。2012年短編ドキュメンタリー「Surpêche」、2013年には長編第2作「Respire」を発表。第67回カンヌ国際映画祭批評家週間部門で上映された。
1978年7月23日生まれ。ジャーナリストで活動家。1999年から2002年までの間、俳優としても活動。その後2003年から2007年まで“Hommes de parole foundation”のコーディネーターとして活躍。2003年スイスのコーで、“イスラエル・パレスチナ会合”をコーディネート。2005年、2006年ブリュッセルとセビリアで行われた“平和のためのイマームとラビ会議”のコーディネート。2007年1月から2013年8月までピエール・ラビとNGO「コリブリ」(※)を共同設立。2011年、アクト・シュド社より叢書「Domaine du Possible」を共同で立ち上げ、編集アドバイザーに。また翌年、世界を変えてゆくことを目指した雑誌「KAIZEN」を共同創刊し、2014年まで編集主幹を務める。2011年メラニー・ロラン&ZazとNGO「コリブリ」のための「The video Tous Candidats」をプロデュース。2013年コランタン・ルクールのプロデュースによるアニメーションビデオ「Révolutionnons l‘agriculture」の脚本監督を担当。
(※)作家ピエール・ラビが提唱した、小さなことでもいいから自分たちの力でできることをしようという運動で、環境や人を大切にする社会を目指す。
1984年10月24日スウェーデン・ストックホルム生まれ。幼少期をフランスで過ごしたのち、故国へ戻る。17歳の頃から本格的な音楽活動を開始し、2006年にファースト・アルバム『ア・フラクション・オブ・ユー』をまずフランスで、ついで故国スウェーデンのほか日本などワールド・リリース。全曲の作詞・作曲を手がけ、ジャズを基調にしながらもポップスの要素を織り交ぜた楽曲によって一躍、注目を集める。2008年には『パリでみつけた12の贈り物(原題:Tributaries)』を発表。その後も順調にキャリアを重ね、現在まで5枚のアルバムをリリース。ニッサン「ジューク」のCFに使われた「きらきら星」のカヴァーでも大注目。