ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェーン・フォンダなどの名女優たちを輝かせてきた巨匠ロジェ・ヴァディム監督が、恋愛の駆け引きを巧みに描いたラクロによる同名小説を初映画化。1960年代パリ上流社会の退廃的な官能美をスタイリッシュなモノクローム映像で描く。また、ピアノの最高峰セロニアス・モンク、爆発的な人気を誇ったアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズによるモダン・ジャズナンバーを全編に使用。劇中で演奏される大ヒット曲「危険な関係のブルース」が衝撃的なクライマックスシーンを盛り立てる。そして、図らずも本作が遺作となったフランス映画史上に燦然と輝き続ける名優ジェラール・フィリップ、ヌーヴェル・ヴァーグのミューズとして深く愛され続けたジャンヌ・モローを主演に迎え、『男と女』『愛、アムール』などで知られるジャン=ルイ・トランティニャン、伝説的作家ボリス・ヴィアンなど豪華俳優陣が競演。公開当時、本国フランスで上映禁止となり海外輸出禁止にもなった問題作が、約60年の時を経て、いよいよ4Kデジタル・リマスター版で美しく蘇る。
外交官夫妻のバルモンとジュリエットは、パリの社交界でも目立つ存在だ。しかし、実際の二人は、お互いの情事の成果を報告し合う奇妙な夫婦関係を続けていた。ジュリエットは、愛人だったアメリカ人のコートが18歳のセシルと婚約したことを知り、嫉妬心からバルモンにセシルを誘惑するよう持ちかける。セシルを追って冬のメジェーヴまで来たバルモンは、そこで貞淑な人妻マリアンヌと出会い、本気になってしまう。
1922年12月4日、フランス、カンヌ生まれ。弁護士である父親の希望でニースの法律学校に入学するが、マルク・アレグレ監督の勧めで俳優を目指し始める。43年巡業中にパリの興行主に認められ、ジロドゥ作の舞台「ソドムとゴモラ」で大役に抜擢、脚光を浴びる。46年には『星のない国』で映画初主演を果たし、舞台カミュ作「カリギュラ」にて主役を得る。舞台が評判を呼び、ジョルジュ・ランパン監督が『白痴』(46)のムイシュキン公爵役に大抜擢。47年クロード・オータン=ララ監督の『肉体の悪魔』にてブリュッセル国際映画祭主演男優賞に輝き、映画界においてもスターの座を獲得、名実ともに不動の人気を得る。その後もフランス映画黄金時代最後の正統派二枚目スターとして、スタンダール原作の文芸大作『パルムの僧院』(48)『赤と黒』(54)や、画家モディリアーニを演じた『モンパルナスの灯』(58)など数多くの作品に出演、世界的な人気を博した。また、56年には『ティル・オイレンシュピーゲルの冒険』で念願の監督デビューを果たす。本作『危険な関係』(59)は病気と闘いながらの撮影となり、主演最後の作品となった。59年11月25日肝臓ガンにより36歳の若さでこの世を去った。
1928年1月23日フランス、パリ生まれ。母親はイギリス人で元ダンサー、フランス人の父親はパリでブラッスリーを営んでいた。少女時代から女優を志し、47年にコメディ・フランセーズの団員に。コンセルヴァトワールでも学び、ジャン・ヴィラール主催による第1回アヴィニョン演劇祭に出演を果たす。舞台と並行して映画への出演も始め、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』(54)などに出演。57年、ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』でパリの夜に恋人を探すヒロインを演じ、『恋人たち』(58)や本作『危険な関係』(59)で個性的な美を強く印象づける。さらに、60年には、ピーター・ブルック監督の『雨のしのび逢い』でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞。61年にはフランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』でふたりの男の間で揺れる女性を奔放に演じ、ジョゼフ・ロージー監督の『エヴァの匂い』(62)でファム・ファタルを妖艶に演じた。その後も名匠たちの作品に多数出演し、フランスを代表する女優としての評価を決定づける。94年にはセザール賞の名誉賞も受賞。また,監督としても『ジャンヌ・モローの思春期』(79)、『リリアン・ギッシュの肖像』(83)を残している。近年は、『デュラス 愛の最終章』(01)で晩年のデュラスを演じたほか、『クロワッサンで朝食を』(12)ではパリに暮らすエストニア人の老女を演じた。2017年7月31日自宅アパートメントで倒れていたところを家政婦に発見された。享年89歳。
1936年12月7日デンマーク、フュン島生まれ。医者である父親が亡くなり、パリに渡る。10代後半からギ・ラロッシュのモデルとして活動をはじめ、シャネルなどのモデルをつとめる。ブリジット・バルドーと離婚したロジェ・ヴァディムと恋に落ち、58年に結婚、本作『危険な関係』(59)に出演する。60年、ジャン・コクトー監督『オルフェの遺言-私に何故と問い給うな-』に出演、ヴァディムの『血とバラ』で吸血鬼カミーラを演じた。その後、ヴァディムと離婚。名前をストロイベルグに戻し、イタリアへ渡る。ロベルト・ロッセリーニ監督‟Anima near”(62)などに出演した。恋多き女性でアラン・ドロン、ウォーレン・ベティらと交際。その後、ソルボンヌ在籍のモロッコ人やギリシャの海運王グレゴリー・カリマノプロスと結婚し、北アフリカやアメリカで暮らす。晩年は、パリとコペンハーゲンで暮らした。ほか出演作に、ディーノ・リージ監督の『追い越し野郎』(62)など。2005年12月12日、コペンハーゲンにて癌で亡くなる。享年69歳。
1930年12月11日フランス、ヴォクユーズ県生まれ。裕福な実業家の息子で、エクス=アン・プロヴァンスで法律を勉強するも、20歳を過ぎてから演劇を学ぶ。56年に‟Si les gars du monde...”で映画デビュー。同年ロジェ・ヴァディム監督の『素直な悪女』で才能を見出され、共演者でヴァディムの妻だったブリジット・バルドーと恋に落ち注目を集めるが、後に破局。66年には『男と女』の大ヒットで世界的に注目を集め、製作もつとめた。 コスタ=ガヴラス監督の『Z』(69)ではカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞。その後は、『暗殺の森』(70)、『日曜日が待ち遠しい!』(83)、『男と女Ⅱ』(86)、『トリコロール/赤の愛』(94)など100本以上の映画に出演。女優ステファーヌ・オードランと映画監督ナディーヌ・マルカンと結婚したが、どちらも離婚に至った。近年はミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』(2012)で妻を献身的に介護する夫役で熱演、セザール賞やヨーロッパ映画賞など数々の賞を受賞した。最新作には、ハネケ監督の『ハッピーエンド』(17/日本公開18年3月3日)が待機中。
1941年8月19日、フランス、パリ生まれ。シャトレー劇場でダンサーをしていたところを見出され、映画に出演するようになる。本作のセシル役には、最初は別の女性の予定だったが若すぎたためほかの女優を探していたところ、演出家のクロード・マルタンにより見出されその座を射止めた。その他出演作に、クロード・シャブロル監督の『二重の鍵』(59)、『狂った情事』(61)『危険なデイト』(62)など。
1928年1月26日、フランス、パリ生まれ。母親はフランス人、父親はロシアからの移民で、ヴァディムが9歳の時に亡くなる。16歳で舞台役者としてデビュー。マルク・アレグレ監督の助監督をつとめたあと、テレビの世界へも進出。脚本・演出をこなしながら、「パリ・マッチ」誌の記者もつとめる。52年、雑誌のモデルをしていた18歳のブリジット・バルドーと結婚。56年にバルドーを主演に『素直な悪魔』を初監督し、一躍「世界のBB」へと押し上げる。しかし、バルドーが共演者のジャン・ルイ=トランティニャンと恋に落ちたため、57年に離婚。自身もアネット・ストロイベルグ(ヴァディム)と恋に落ち、58年に結婚。アネットを本作『危険な関係』(59)と『血とバラ』(60)にも出演させるが破局。61年から、カトリーヌ・ドヌーヴと交際をはじめ息子クリスチャンを授かる。63年、ドヌーヴ主演で『悪徳の栄え』を監督するが、破局。65年には、ジェーン・フォンダと結婚。『獲物の分け前』(66)や『バーバレラ』(68)などをジェーン主演で監督し、娘(ヴァネッサ・ヴァディム)をもうけるが、73年に離婚。75年には衣装デザイナーと結婚し、数年で離婚。83年に、ドヌーヴとの息子クリスチャンを主演に『さよなら夏のリセ』を監督。著書「我が妻バルドー、ドヌーヴ、J・フォンダ」では、美貌の女優たちとの恋愛遍歴を告白している。90年に女優のマリー=クリスティーヌ・バローと結婚。2000年2月11日、72歳で癌のためパリで死去。