監督・脚本・音楽/セルジュ・ゲンズブール
1928年4月2日パリ生まれ。両親は内戦を避けてフェオドシア(ウクライナ)から亡命してきたロシア系ユダヤ人。父親はバーでピアノを弾いて家族を養った。6歳から父親によるピアノのレッスンを受けた。モンマルトルの絵画アカデミーを経て、セーヌ右岸のキャバレー<ミロール・ラルスイユ>でピアニスト、ギタリストとして活動。「リラの門の切符切り」(1957)でデビュー。ファーストアルバム「第一面のシャンソン」(1958)で、フランスのレコード大賞、アカデミー・シャルル・クロ大賞を受賞。「夢見るフランス人形」(1965)など、フランス・ギャルが歌った楽曲がヨーロッパ中で大ヒット。ジェーン・バーキンとのデュエット曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(1969)は、世界的にセンセーショナルを巻き起こした。また1979年にはフランス初のレゲエ・アルバム「祖国の子供たちへ」を発表。国歌「ラ・マルセイエーズ」をレゲエ仕立てにアレンジした楽曲が波紋を呼んだ。ジャズ、マンボ、シャンソン、ポップス、ロック、プログレッシヴロック、レゲエ、エレクトリック、ディスコ、ファンクなどを自在に横断。様々なジャンルのアーティストによる影響を与え、カバーもされている。フランスを代表するシャンソン歌手ジュリエット・グレコに捧げられた有名楽曲「ラ・ジャヴァネーズ」(1963)も数多くカバーされており、近年もアカデミー賞を受賞したギレルモ・デル・トロ監督『シェイプ・オブ・ウォータ―』(2017)で使用。1988年には来日公演を果たした。
俳優や映画音楽の分野でも活躍。ミシェル・ボワロン監督『気分を出してもう一度』(1959)で映画初出演し、『唇によだれ』(1959)の音楽を担当。同名テーマ曲が大ヒット。また、アンナ・カリーナ主演のテレビミュージカル『アンナ』(1966)の音楽を担当。そして『スローガン』(1968)では主演。売れっ子CM監督の“セルジュ”を演じた。同作品でジェーン・バーキンと出会い、その後バーキンとは『カトマンズの恋人』(1969)や『ガラスの墓標』(1969)、『マドモアゼル a Go Go』(1973)などで共演。またクロード・ベリ監督「Je vous aime」(1980)では、カトリーヌ・ドヌーヴと共演。音楽も担当した。
映画監督としては『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(1975)のほか、『赤道』(1980)、ジェーン・バーキンとの娘、シャルロット・ゲンズブールを主演に迎えた『シャルロット・フォー・エヴァ―』(1986)、『スタン・ザ・フラッシャー』(1990)を手掛けた。1991年3月2日、心臓発作により62歳で永眠。モンパルナス墓地に眠る。
撮影監督/ウィリー・クラント
1934年ベルギーのリエージュ生まれ。ジャン=リュック・ゴダール監督『男性・女性』(1965)やアニエス・ヴァルダ監督「Les creatures」(1966)に参加。セルジュ・ゲンズブールとは『ガラスの墓標』(1969)や、アンナ・カリーナ主演作『アンナ』(1967)。本作に加え、『赤道』(83)『シャルロット・フォー・エヴァ―』(86)で協働。近年はフィリップ・ガレル監督『灼熱の肌』(2011)、『ジェラシー』(13)に参加。
おじはドイツの撮影監督クルト・クラント。フリッツ・ラングやアルフレッド・ヒッチコック、ジャン・ルノワール監督作品など、無声映画時代からトーキー時代にかけて100本以上に及ぶ作品の撮影を手掛けた。
編集/ケヌー・ペルティエ
1935年、フランス出身。ルイ・マル監督『地下鉄のザジ』(1960)、『私生活』(1962)『ビバ!マリア』(1965)ロマン・ポランスキー監督「反撥」「袋小路」「吸血鬼」などのシナリオ・ライターとして有名なジェラール・ブラッシュ監督の初監督作品『薔薇色のロレーヌ』(1970)などに参加。