ヌーヴェル・ヴァーグ――それは、映画が誕生して以来のもっとも大きな衝撃と改革だった。
彼らは、多くの映画を見ることで映画を作り始めたシネフィルたち、つまり“映画の新世代”であった。
批評家であると同時に映画監督である彼らの、書くことと撮ることの相互作用によるユニークな作品群は、映画史における最初のムーヴメントであり、現代人が生きるこの世界を、現在形で様式化したのだ。
1959年5月、カンヌ国際映画祭で、一本の映画がセンセーショナルを巻き起こす。一躍ヌーヴェル・ヴァーグの名を世界に知らしめたトリュフォーの『大人は判ってくれない』は、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞。そしてすぐにゴダールが『勝手にしやがれ』を発表。ヌーヴェル・ヴァーグの評価は確固たるものとなり、ふたりの友情も映画とともに永遠に続くかにみえた。
しかし1968年5月革命の後、歴史と政治がふたりの仲を引き裂いていく。
そして、ふたりの間で大きく運命を翻弄されるトリュフォーの分身・俳優ジャン=ピエール・レオー……。




フランス映画の今を作った、世界中から敬愛されるふたりの監督に迫る本作は、2009年のカンヌ映画祭でヌーヴェル・ヴァーグ50周年記念作品として上映され、その後更なる編集を加えて2010年10月に完成。
その完成のために奔走したのが、ヌーヴェル・ヴァーグの拠点となった「カイエ・デュ・シネマ」誌の元編集長アントワーヌ・ド・ベック。映画史研究家でもありトリュフォーやゴダールの評伝本の著者でもある彼の資料収集と映画史的な構成力が、この映画の大きな原動力となった。

これまで数々のドキュメンタリーを監督してきたエマニュエル・ローランは、実際にはトリュフォーやゴダールに会ったことはないものの、トリュフォーの分身ともいえるレオーが演じた“アントワーヌ・ドワネル”を「兄」のような存在として生きてきたのだという。この映画に収められた当時の貴重な資料映像に関して、「それらはgoogleなどでは見つけられないものです。この映画は、いまでは忘れ去られている貴重な文書や映像への愛を打ち明けたものです」と語っている。

また本作には、ゴダール、トリュフォー、レオーの3人に加え、第4の人物が登場する。ほとんどが資料映像ばかりで構成される本作もあって、唯一新たに撮影されたシークエンスに登場するイジルド・ル・ベスコである。女優でもあり、自ら映画も監督する彼女の役割について、「過去と現在の架け橋」としての存在なのだと監督は語る。「そしてまた、私たちはトリュフォーの映画の信念にも忠実に従ったのです。それはつまり、映画を成功させるためには画面に若くきれいな女性の顔を映し出すべきだ、ということです」。
そして見逃せないのは貴重な資料映像とヌーヴェル・ヴァーグの傑作からの抜粋の数々。『大人は判ってくれない』のカメラ・テストを受けるジャン=ピエール・レオー、演出の細部について語るトリュフォー、そして商業映画の世界から身を引いていた時期のゴダールのやつれた姿など。映画ファンにとって見逃すことのできない多くの映像が、映画と映画の歴史の豊かさを、雄弁に語りかけてくる。それに耳を傾けるだけで、誰もが映画の住人となることでしょう。


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