1962年生まれ。歴史家、映画批評家、映画史家。パリ第10大学教授。「カイエ・デュ・シネマ」誌編集長、「リベラシオン」紙文化面編集長を歴任。現在は、パリ第10大学で教鞭をとっている。これまでの著作としては、1996年にセルジュ・トゥビアナとの共著で、評伝「フランソワ・トリュフォー」(稲松三千野訳、原書房)を出版、2010年にはジャン=リュック・ゴダールの評伝「Godard」を完成させた。その他、「カイエ・デュ・シネマ」誌の歴史を辿った労作をはじめ、ヌーヴェル・ヴァーグ、映画史、フランス史などに関する数多くの著書があり、ヌーヴェル・ヴァーグの次世代ジャン・ユスターシュに関するキーワード集「Le Dictionnaire Eustache」が彼の監修のもとで刊行されたばかり。『ふたりのヌーヴェルヴァーグ』は初めて脚本を担当したドキュメンタリー作品である。


1950年生まれ。作家、映画監督。映画館の最前列に座り独学で映画を学ぶ傍ら、編集者としてキャリアをスタートさせた。1984年、独立系映画製作会社、Films à Trois を設立、マルタン・ド・ラ・フシャルディエールとともに経営を担当した。監督作品には本作のほか、サリー・ブレイクとの共作『Le Dernier Voyage de Léonard』 (10年)がある。現在、2003年に刊行された自身初の小説、「Mademoiselle V. Journal d’une insouciante」の映画化に取りかかっている。過去の作品として、脚本、監督を兼ねた『Le Vagabond』 (モーパッサン原作)、三部構成のミュージカル・コメディ『Le Cantique des Cantines』、そして『Nord Tchad』(リオネル・クザンとの共同作品)、『Derrière chez nous』3部作など、数多くのドキュメンタリー作品がある。


1982年生まれ。俳優、映画監督。8歳のとき、フランシス・ジロー監督『Lacenaire』に、姉のマイウェンと出演し、映画デビュー。セドリック・カーン『ロベルト・スッコ』(01年)では、主人公の恋人役を演じた。その他の出演作に、ブノワ・ジャコ『発禁本 SADE』(00年)、ブノワ・ジャコ『イザベル・アジャーニの惑い』(02年)など。2004年頃から映画監督としても活躍し、『Demi-tarif』(04年)『Charly』(07年)『Bas-fonds』(10年)などの監督作品がある。




1932年2月6日、フランス生まれ。生後まもなく祖母のもとに預けられ、祖母の死後、母親と義父のもとに引き取られる。両親との関係は必ずしも良好ではなかったが、彼らの影響で少年時代から本や映画に親しむ。16歳でシネクラブを設立するも、その運営のために盗みを繰り返し、鑑別所や刑務所へ送られる。1949年頃、シネクラブでロメール、リヴェット、ゴダールらと知り合い、「ガゼット・デュ・シネマ」に参加。軍隊への入隊、脱走を経て、1953年から、アンドレ・バザンが編集長を務める「カイエ」や「アール」誌などで辛辣な映画批評を発表し始める。その後、短編映画の制作を開始し、初の長編映画『大人は判ってくれない』がカンヌ映画祭でグランプリを受賞。その後も、「アントワーヌ・ドワネル」シリーズなど数々の作品を監督した。1957年、製作会社〈レ・フィルム・デ・キャロッス〉を設立、自身の監督作の大半を製作した。また、俳優としてスティーヴン・スピルバーグ『未知との遭遇』(77年)に出演している。結婚歴は1回(マドレーヌ・モンゲルステルヌ)。1984年10月21日、52歳で死去。




1930年12月3日、フランス生まれ。スイス人の医師である父とパリの銀行家の娘である母を持ち、幼少時代はスイスのレマン湖のほとりにある裕福な家庭で育つ。国籍はスイス。ソルボンヌ大学中退後、シネマテーク通いを始め、トリュフォー、ロメールらと出会う。「ガゼット・デュ・シネマ」「カイエ」誌などに映画批評を執筆、長編『勝手にしやがれ』で鮮烈なデビューを飾る。その後も作品を発表続けるが、1967年の『中国女』から政治への傾倒が強まり、同年8月には商業映画への決別宣言を発表。1968年の5月革命以後、ジャン=ピエール・ゴランらとともに「ジガ・ヴェルトフ集団」(72年に解散)を名乗り、政治的実験作品に専念し、70年代後半から活動拠点をスイスに移す。1980年公開の『勝手に逃げろ/人生』で商業映画に復帰、最新作は『ゴダール・ソシアリスム』。結婚歴は2回(アンナ・カリーナ、アンヌ・ヴィアゼムスキー)、現在のパートナーはアンヌ=マリー・ミエヴィル。




1944年、フランス生まれ。俳優。父親は映画脚本家のピエール・レオー、母親は映画女優のジャクリーヌ・ピエルー。14歳のとき、オーディションで『大人は判ってくれない』の主人公アントワーヌ・ドワネル役に抜擢される。以後、トリュフォーとゴダールそれぞれの映画に多数出演。トリュフォー作品には、「アントワーヌ・ドワネル」シリーズ4作(『アントワーヌとコレット』『夜霧の恋人たち』『家庭』『逃げ去る恋』)の他、『柔らかい肌』『恋のエチュード』『アメリカの夜』に出演。トリュフォーの分身的存在でありつつも、監督としてのゴダールを尊敬し、『男性・女性』『メイド・イン・USA』『中国女』『ウイークエンド』などに出演した他、『アルファヴィル』『メイド・イン・USA』で助監督も務めた。1968年以降、父親的存在であるふたりの間に生じた不和に悩まされ、一時は精神的に不安定な状態に陥った。70年代後半頃から映画への出演が減っていたが、1985年の『ゴダールの探偵』出演後、再び活躍し始める。その他の出演作に、イエジー・スコリモフスキー『出発』(67年)、ジャン・ユスターシュ『ママと娼婦』(73年)、フィリップ・ガレル『愛の誕生』(93年)など。

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