1930年1月1日、アメリカ合衆国ボストン生まれ。イェール大学大学院卒業後、弁護士として活動し、その後軍隊に入る。除隊後、弁護士業の傍ら大学で教鞭をとるようになる。1963年にウォーレン・ミラーの原作を映画化したシャーリー・クラーク監督作品『クール・ワールド』をプロデュースし、映画製作の道に足を踏み入れる。1967年、ドキュメンタリー映画『チチカット・フォーリーズ』を初めて監督する。本作は精神疾患の犯罪者たちのための矯正院の実体を克明に映しだし、その過激さからマサチューセッツ州で公開禁止処分となるも大きな話題を呼ぶ。1971年、現在も活動の拠点とする自身のプロダクション「ジポラフィルム」を設立。劇映画『セラフィタの日記』『最後の手紙』をはさみ、精力的にドキュメンタリー作品を作り続けている。2014年、その功績がたたえられ、第71回ヴェネチア映画祭で栄誉金獅子賞が贈られた。
『チチカット・フォーリーズ』Titicut Follies(1967年)
『高校』High School(1968年)
『法と秩序』Law and Order(1969年)
『病院』Hospital(1969年)
『基礎訓練』Basic Training(1971年)
『エッセネ派』Essene(1972年)
『少年裁判所』Juvenile Court (1973年)
『霊長類』Primate(1974年)
『福祉』Welfare(1975年)
『肉』Meat(1976年)
『パナマ運河地帯』Canal Zone(1977年)
『シナイ半島視察団』Sinai Field Mission(1978年)
『軍事演習』Manoeuvre(1979年)
『モデル』Model(1980年)
『セラフィタの日記』Seraphita's Diary(1982年)
『ストア』The Store(1983年)
『競馬場』Racetrack(1985年)
『聴覚障害』Deaf(1986年)
『視覚障害』Blind(1986年)
『適応と仕事』Adjustment and Work(1986年)
『多重障害』Multi-Handicapped(1986年)
『ミサイル』Missile(1987年)
『臨死』Near Death(1989年)
『セントラル・パーク』Central Park(1989年)
『アスペン』Aspen(1991年)
『動物園』Zoo(1993年)
『高校Ⅱ』High School II(1994年)
『BALLET アメリカン・バレエ・シアターの世界』Ballet(1995年)
『コメディ・フランセーズ 演じられた愛』La Comédie-Française ou L'amour joué(1996年)
『パブリック・ハウジング』Public Housing(1997年)
『メイン州ベルファスト』Belfast, Maine(1999年)
『最後の手紙』La Derniere lettre / The Last Letter(2000年)
『DV|ドメスティック・バイオレンス』Domestic Violence(2001年)
『DV2』Domestic Violence 2(2002年)
『マディソン・スクエア・ガーデン』Madison Square Garden(2004年)
『州議会』State Legislature(2006年)
『パリ・オペラ座のすべて』La Danse(2009年)
『ボクシング・ジム』Boxing Gym(2010年)
『クレイジー・ホース・パリ 夜の宝石たち』Crazy Horse(2011年)
At Berkeley〈邦題未定〉(2013年)

1979年の『軍事演習』以降、ワイズマン監督の多くの作品の撮影を担当する。2001年のTVシリーズ「Land of the Mammonth」でエミー賞ノンフィクション番組部門・撮影賞を受賞。また2012年、イギリスの歌手キャスリーン・フェリアの生誕100年を記念してつくられたドキュメンタリー「Kathleen Ferrier」(ダイアン・ペレルステイン)の撮影を手がけた。