1965年10月25日、パリ近郊のヌイィ=シュル=セーヌにて生まれる。監督になることを目指してIDHEC(フランス高等映画学院。現在のFEMIS)を受験するも失敗。ジョージア(旧国名:グルジア)の名匠オタール・イオセリアーニと家族ぐるみのつきあいがあったことから、'84年に『月の寵児たち』で映画デビューを飾る。
アンジェのプルミエ・プラン映画祭に自身の短編とともに参加した際、同じく『二十歳の死』をもって参加していたデプレシャンと知り合い、『魂を救え!』に出演。'96年、『そして僕は恋をする』のポール・デダリュス役を演じてはまり役となり、セザール賞の有望若手男優賞を受賞。これに弾みを得て俳優としての地位を確立、気鋭の監督たちの作品に出演を重ね、'05年にはスピルバーグの『ミュンヘン』、'08年には『007/慰めの報酬』と、国際的な評価も得る。監督としても、'97年に処女長編『スープをお飲み』を撮り、ポルトガルの辣腕パウロ・ブランコの後ろ盾を得た'01年の第2作『ウィンブルドン・スタジアム』で評価を得、'10年の『さすらいの女神たち』ではカンヌ映画祭で監督賞とFIPRESCI賞を受賞。監督としてもユニークな位置を占めている。