今、クレールと出会えることの歓び
武田潔(早稲田大学文学学術院教授)
 今年はルネ・クレールが亡くなってからちょうど40年目の節目にあたる。サイレント時代の1920年代に監督としてデビューし、トーキーの到来とともに『巴里の屋根の下』(30)、『ル・ミリオン』(31)、『巴里祭』(33)といったパリの下町の情趣を生き生きと描いた秀作群や、『自由を我等に』(31)や『最後の億万長者』(34)のような社会風刺を込めた卓抜なコメディ、さらには第二次大戦後も『夜ごとの美女』(52)や『夜の騎士道』(55)など、ジェラール・フィリップを主演に迎えたファンタジーやドラマによって、戦前から戦後を通じて「最もフランス的な映画作家」として世界的な名声を博したことは広く知られていよう。しかし、やがて「ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼ばれる若い世代の映画作家たちの台頭とともに、その栄光にも翳りが見え始め、円熟の境地を示す『リラの門』(57)などを手がけた後、監督としてのキャリアは『みやびな宴』(65)をもって終わることとなる。以後、一般の関心も次第に薄れてゆき、81年3月に彼が亡くなった時には、ジャーナリズムにおいても、功績ある過去の映画人に敬意を表するという以上の扱いはほとんどなされなかった。そのような道程を辿ったクレールの映画は、今日、特に若い世代の観客に、どのように受けとめられるのだろうか。

とかく誤解されがちだが、ヌーヴェル・ヴァーグは、より正確にはその中核を担った「カイエ・デュ・シネマ」誌の批評家出身の映画作家たちは、必ずしもクレールの映画をそれ自体の価値において批判したわけではない。なるほど、クレールもまた守旧的な映画作家の代表格として彼らに退けられはしたが、そうした論調の起点をなしたトリュフォーの評論「フランス映画のある種の傾向」(54)では、「良質のフランス映画の伝統」を担ってきた高名な監督たちや脚本家たちが激烈な調子で指弾される中で、なぜかクレールの名は一度も挙げられていない。また、『リラの門』評で、クレールを「既に歴史の内に入った」映画人と呼んだロメールも、後年、映画評論集「美の味わい」(84)を上梓した際には、巻頭に付したインタヴューの中で、自身が映画批評家として活動していた時期以外は一貫してクレールを称賛していたことを明かしている。さらに、ゴダールも幾度か、『巴里祭』をきわめて高く評価する言葉を述べており、瑞々しい魅力を湛えた初期の『女は女である』(61)を同作に捧げてもいるのである。

そもそもヌーヴェル・ヴァーグによる「作家主義」の批評は、従来、重視されてきた作品の主題や脚本の優劣などよりも、監督自身の個性の表出を―文学における作家のそれにも等しいものとして―最優先の基準とすることで、それまで必ずしも高く評価されてこなかった映画作家たちを断固として支持したのだった。いみじくも、彼らの師と仰がれた批評家のアンドレ・バザンは、50年代初頭に書いた文章の中で、「ジャン・ルノワールは存命中の監督としてはフランスで最も偉大な監督だ。こう断言するためには、ルノワールと、彼に匹敵しうる唯一の監督であるルネ・クレールの、どちらを採るかを決断しなければならない」と述べていた。そして、バザンのもとから出発したヌーヴェル・ヴァーグは、フランス映画の伝統を乗り越え、そこから新たな地平へと踏み出すために、あえて評価の定まったクレールを捨て、その奔放さゆえに貶められてきたルノワールを採ったのだった。

それは映画史において時に出来する、同時代の状況が招いた一つの不幸と言えようが、実はクレールとヌーヴェル・ヴァーグの間には、本来ならば両者をつなぎ、連携を促してしかるべき、ある共通の映画理念が認められるだけに、痛恨の念はいっそう強い。古典的映画の終焉の時期とされる60年頃にデビューしたヌーヴェル・ヴァーグの監督たちは、ゴダールが語ったように、「映画でできることはすべてなされてしまった」という認識とともに出発し、だからこそ既存の映画作法の常識を覆すような手法を果敢に展開していったのだった。実作における彼らのそうしたアプローチは、前述した通り、映画批評の経験から生み出されたものだったが、クレールもまた、映画監督となる前から批評の仕事に携わっており、処女作『眠るパリ』(製作23年、公開25年)以来、彼の作品には一貫して、映画によって映画のあり方を問い直そうとする姿勢が見てとれる。あらゆるものの動きを止める謎の光線に主人公たちが翻弄されるというこのファンタジー作品では、動く映像で成り立つはずの映画にあって事物の静止という逆説的な趣向が要をなしているのみならず、例えば連続活劇を思わせるような追跡場面など、1910年代半ばに古典的映画の作法が確立される以前の、いわゆる「初期映画」に因む要素が―ちょうどヌーヴェル・ヴァーグの作品に古典的映画に因む要素がしばしば“引用”されるように―採り入れられている。

そのように映画表現の特性についても映画史の変遷についても、映画作品のただ中で省察をめぐらそうとする姿勢は、その後も、サイレント期の作品においては多かれ少なかれ明示的に、トーキー作品においては―草創期の映画撮影所を舞台にした『沈黙は金』(47)を除いて―より潜在的なかたちで、引き継がれてゆく。実際、初のトーキー映画に挑んだ『巴里の屋根の下』では、冒頭と結末での、キャメラの移動に伴う“音のフェイドイン/フェイドアウト”や、カフェで話す人物をガラス戸越しにとらえることで姿は見えるが声は聞こえないという、あえてサイレント映画を模した演出や、大詰めで主人公とならず者たちが暗闇の中で乱闘を繰り広げ、今度は逆に画面では何も見えず、音声だけが聞こえるといった手法は、いずれもトーキーの到来を受けて、あらためて映画表現の基本的な様態を再考しようとする試みでもあるだろう。

ただし、そうした志向は決して知的な模索のみにとどまるものではない。例えば、花売り娘とタクシー運転手の恋を情感豊かに綴った『巴里祭』でも、冒頭で、向かい合ったアパルトマンに住む2人が窓越しに見交わす様子が描かれた後、紆余曲折を経て今はカフェに勤めるヒロインが、誤解から別れてしまった青年の姿を店先に見つけ、何も知らずに佇むその姿をガラス戸越しにひしと見つめながらも、遂に互いの眼差しが交わらないまま彼が去って行くというくだりは、2人の人物を交互にとらえる「切り返し」という、映画表現の最も基本的な技法を用いながら、最後まで両者の視線が交わらない残酷さによって、映画的世界を支える原理の儚い本性をくっきりと浮かび上がらせている。

クレールの映画をめぐって、パリの下町情緒を心ゆくまで堪能することも、その底に織り込まれた明晰な省察を受けとめることも、今日の観客には等しく可能である。もはや過去の状況が課した桎梏を離れて、最もフランス的な映画の名匠としてであれ、映画によって映画を問い直す慧眼の映画作家としてであれ、虚心に彼の作品に向き合うことのできる環境が、今や整ったと信じたい。没後40年という節目が、彼の映画に新たな展望を切り拓くとすれば、それは一人一人の観客が、あたかもルネ・クレールという映画作家が今、初めて誕生したかのように、その作品と出会うことからもたらされる果実であるに違いない。今回の特集上映がそのような場となることを願ってやまない。
Profileプロフィール
たけだ・きよし
映画研究者。著書に「明るい鏡 ルネ・クレールの逆説」、「映画そして鏡への誘惑」など、訳書にネストール・アルメンドロス「キャメラを持った男」、ジャック・オーモンほか「映画理論講義」、エリック・ロメール「美の味わい」(梅本洋一と共訳)など。